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「名勝地」「参詣地」としての東照宮

 日光東照宮には将軍や大名・公家にとどまらず、武士や庶民等、多くの人が参詣に訪れています。また、江戸では家康の命日にあたる4月17日に、東照宮を勧請した諸寺社で法楽(ほうらく)が催されたり、浅草寺・護国寺・王子権現社等に勧請(かんじょう)された東照宮の参拝が許可されました。将軍家の菩提寺である増上寺では、ふだん立ち入ることが出来ない場所へも参拝できました。このように、江戸庶民にとっては年中行事の一つとして、東照宮が受容されていました。
 さらに、日光東照宮では参詣者が増えていくことに伴い、多くの案内書が刊行されました。有名なものとしては、幕臣植田孟縉著の「日光山志」、江戸新橋で仕立て屋を営んでいた竹村立義が著した「日光巡拝図誌」などがあります。

天保巡見日記(てんぽうじゅんけんにっき) [請求番号: 特096-0005]

 天保9年(1838)12月に幕臣の芳賀市三郎が藤原清雄の名で書き上げた書

江戸歳事記(えどさいじき) [請求番号: 184-0012]

 江戸神田雉子町の名主である斎藤月岑(さいとうげっしん)著

日光山志(にっこうさんし) [請求番号: 174-0252]

 植田孟縉(うえだもうしん)著

日光巡拝図誌(にっこうじゅんぱいずし) [請求番号: 174-0257]

 竹村立義(たけむらたつよし)著