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信康遺児の養育

 家康には多くの子女がいました。家康の長男として生まれ、信長の娘である徳姫を娶った信康もその1人。彼は天正7年(1579)、家康の命により自害します。信康には登久姫(とくひめ)と国姫という2人の娘がいました(いずれも徳姫の子)。信康が自害した後、家康はこの2人の子を自らの元で養育しました。登久姫は天正17年(1589)8月に、豊臣秀吉の仲介で、信濃国松本城主小笠原秀政に嫁ぎました。また妹の国姫は本多忠勝嫡男の本多忠政に嫁いでいます。

寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ) [請求番号: 特104-0001]

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 文化 9 年(1812) に成立した幕府によって編纂された大名・旗本の系譜集。寛政 10 年(1798)までの系図を提出させ、「寛永諸家系図伝」を全面的に改訂したものです。掲載箇所は小笠原秀政の項。全1530冊。紅葉山文庫旧蔵。