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家康もう一つの隠居所

 豊臣氏を滅ぼした家康は、各地を逗留し、また鷹狩りを楽しむ日々を送っていました。元和元年(1615)12月、江戸から駿府への帰途に三島へ到着すると、三島に近い泉頭(いずみがしら、静岡県清水町)が名勝であると述べ、ここに隠居所を建設するよう命じました。
 ところが、その翌元和2年(1616)正月には泉頭への隠居所建設を停止する仰せが家康から出されます。中止の理由は、普請の準備が整わなかったことや、家臣たちの反対があったためとも言われています。

駿府記(すんぷき) [請求番号: 165-0201]

 慶長16年(1611)8月から元和元年(1615)12月までの徳川家康の動向を記した書

本光国師日記(ほんこうこくしにっき) [請求番号: 165-0096]

 臨済宗の僧で、家康の政策ブレーンでもあった以心崇伝(いしんすうでん、1569~1633)の日記