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江戸城内の文庫造営

 家康は武将そして政治家であると同時に、学問を重んじ、文教の振興に努めたことでも知られています。慶長7年(1602)6月、家康は江戸城本丸「富士見の亭」に文庫を設置しました。「富士見の亭」は本丸の南端に位置し、現在の富士見櫓付近と言われています。江戸城の文庫には、家康が蒐集した蔵書や鎌倉時代中期の武将・北条実時(さねとき)が創設した金沢文庫の蔵書等が納められました。足利学校の竜派禅珠(寒松)が最初に蔵書目録を作成しました。なお、家康は慶長10年(1605)4月に秀忠へ将軍職を譲り、同12年(1607)に駿府城へ入りますが、駿府城にも文庫を創設しています。江戸城「富士見の亭」にあった金沢文庫本等が移されました。

天寛日記(てんかんにっき) [請求番号: 163-0179]

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 天正8年(1580)8月1日から寛永7 年(1630) 12 月末日まで、51年間の記事を史書から抄出し、年月日順に排列したもの。本書編集は幕府右筆所(文書・記録の作成等にあたる役所)が行い、文化8年(1811)頃完成したと言われています。資料には、「江戸御城之南、冨士見乃亭に金沢乃文庫を御移し被成、御文庫を御建立なり」とあり、江戸城内に文庫が創設されたことが記されています。全 52 冊。