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公家の小槻孝亮(おづきたかすけ、1575~1652)の日記。資料によれば、慶長19年(1614)10月26日、日本後記や三代実録など古記録を「残らず」写したいとの意向が家康から示され、その翌27日、孝亮は「西宮記」(さいきゅうき)を、冷泉(れいぜい)家は「明月記」(めいげつき)を提出していることがわかります。全12冊。