15.高速道路の建設とモータリゼーション

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名古屋・神戸高速自動車国道計画路線図

  • 名古屋・神戸高速自動車国道計画路線図1

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昭和30年(1955)に全国で15万台だった乗用車は、昭和40年には190万台に増加し、モータリゼーションの時代が到来しました。しかし一方では、市街地での砂煙や交通事故の増加など、悪路を原因とする問題も発生するようになりました。こうした状況への対処と自動車貨物輸送の発達のために、高速道路を含む全国の道路網の整備が急がれるようになりました。昭和32年4月、国土開発縦貫自動車道建設法(こくどかいはつじゅうかんじどうしゃどうけんせつほう)が公布され、北は稚内(わっかない)から南は鹿児島に至る路線が計画されました。そして、日本高速道路公団により、第一期工事として名古屋・神戸間の名神高速道路が建設されました。

名神高速道路の建設にあたっては、世界銀行(世銀)に資金貸出しが申請されました。建設計画の内容や融資希望額の査定等、貸出し条件についての交渉が重ねられた結果、昭和35年3月、総コスト見積もり額1億3000万ドルの約3分の1にあたる4000万ドル(第一次貸出)の貸出が決定しました。また、建設に際しては、世銀技術顧問として、線形関係についてはドイツ人技術者のドルシェ、土質及び舗装に関しては米人技術者のソレデンガー等が招かれ、世銀を通して最新の海外技術が導入されました。

資料は、資金貸出のための参考資料として添付された、名古屋・神戸高速自動車国道計画路線図です。名神高速道路は、昭和38年(1963)に栗東(りっとう)ICから尼崎ICまでが日本初の高速道路として開通し、昭和40年に全通しました。

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