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東照社竣工と宮号宣下

 元和2年(1616)10月26日、日光の東照社の起工式が行われ、翌元和3年3月に完成しました。この竣工と同時期に秀忠は、江戸城内へも東照社を造営するよう命じ、元和4年3月に、江戸城の紅葉山(もみじやま)に社殿が完成しました。これが紅葉山東照社(宮)です。また紅葉山には秀忠以降の将軍が死去するたびに、歴代将軍の霊廟(れいびょう)が建設されました。
 正保2年(1645)には東照社に宮(みや)号が宣下され、「東照宮」となります。これ以後、朝廷から毎年4月17日の東照宮例祭に日光例幣使が派遣されることになりました。

東武実録(とうぶじつろく) [請求番号: 特037-0022]

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 松平家忠の孫である忠冬が、幕府の命により編修した秀忠の事績録。貞享元年(1684)に完成。元和2年(1616)10月26日、東照社の起工式が行われ、天海が縄張、本多正純らが奉行となることなどが記されています。全20冊。