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昭和20年4月~5月
鈴木貫太郎内閣の成立

 3月の東京大空襲をはじめとして、日本本土への空襲は激しさを増していきます。4月1日には沖縄本島へ米軍が上陸します。沖縄においても日本軍との間で激しい戦闘が行われ、戦艦大和やまとの撃沈など、戦局は悪化を続けました。4月7日には小磯内閣に代わり、鈴木貫太郎すずきかんたろう内閣が成立しました。5月には、昭和18年9月のイタリアに続き、ドイツが降伏しました。ドイツの降伏で、アメリカ、イギリスなどの連合国と戦争を続けているのは日本だけになりましたが、政府は戦争を継続することを表明しました。

鈴木貫太郎内閣の成立 [請求番号: 別00229100]

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 4月7日、米軍による沖縄上陸や、国民党政権との和平工作の行き詰まりから、小磯内閣は総辞職しました。続いて、鈴木貫太郎すずきかんたろう内閣が成立します。資料は、鈴木貫太郎が内閣総理大臣に任命された時の裁可書です。

独逸降伏の際の帝国政府声明案 [請求番号: 類02890100]

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 5月8日、日本の同盟国であるドイツが降伏しました。資料は、ドイツの降伏を受けて5月9日に発表された政府声明の原案です。ドイツが降伏した後も、日本は最後まで戦うという意思を表明しました。