16.大津事件

明治24年(1891)5月11日、滋賀県大津を訪れたロシア皇太子ニコライが巡査津田三蔵に突然斬りつけられ負傷するという、いわゆる大津事件が起きました。事件に関する文書は、善後策を講じた内閣、外務省、滋賀県のほか、宮内省においても作成されました。宮内公文書館が所蔵する事件関係の文書は、式部職(しきぶしょく)が作成した、外国人貴賓の接遇に関する「外賓接待録」7冊、内事課作成による行幸関係を綴った「幸啓録」2冊があります。宮内省が行ったニコライの接待から事件後の対応に至る過程が分かります。

ニコライは4月に来日後、長崎・鹿児島、関西方面へと巡遊を始めました。5月6日、鹿児島で県知事らと共に撮影した写真は歓待ぶりが窺える一齣(ひとこま)です。しかし、その5日後大津事件が起きるや否や、有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)から明治天皇へと急ぎ上奏された電報には「御見舞ノ為メ京都ヘ行幸相成タシ」と、混乱収拾に奔走する切迫感が伝わってきます。事件翌日、京都へ行幸した明治天皇は、5月13日常盤ホテルに滞在中のニコライを見舞われました。日本側の応待に印象を良くしたニコライは、昭憲(しょうけん)皇太后に拝謁することが叶わなかったお詫びと明治天皇への感謝を述べた書簡を認め、日本を後にしました。

幸啓録

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ロシア皇太子ニコライほか集合写真

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