18.日清戦争
明治27年(1894)、朝鮮で農民の反乱(東学党の乱)が起こり、朝鮮政府が清国に出兵を要請すると、日本も朝鮮に出兵しました。しかし、農民軍と朝鮮政府の和解が成立した後も日清両軍は撤兵せず、対立を深め、同年8月、日本は清国に対して宣戦布告し、日清戦争が始まりました。
戦局は日本に優勢で、翌年3月より下関において講和会議が開かれました。そして同年4月17日、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権李鴻章(りこうしょう)との間で日清講和条約(下関条約)が調印されました。これにより、清国は朝鮮の独立を認め、日本に遼東半島、台湾・澎湖諸島を割譲し、賠償金二億両を支払うことになりました。
しかし、条約調印後、日本の遼東半島領有は極東平和の障害となるという理由により、ロシア・ドイツ・フランスの三国が遼東半島の返還を日本に勧告しました(三国干渉)。ロシアとの対立深化を避けるため、日本はこの勧告を受け入れ、同年11月、清国との間で遼東半島還付条約に調印し、還付補償金三千万両と引き換えに遼東半島を清国に返還しました。他方、台湾には台湾総督府を置き、昭和20年(1945)まで統治を行いました。