7.テレビ放送の開始と東京タワー

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叙位・叙勲について (内藤多仲)

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開局当初、テレビ局は独自のテレビ塔や放送アンテナを持っていました。しかし、複数の局が違った場所で放送していたため、視聴者は局ごとにアンテナの方向を変えなくてはなりませんでした。そこで、昭和33年(1958)12月、総合電波塔として東京タワーが建設されました。設計者は、名古屋タワー(昭和29年)、通天閣(2代目・昭和31年)等の設計者で、「耐震設計の父」とも呼ばれる建築構造学者の内藤多仲(ないとう たちゅう)でした。地上333メートルは、当時世界一の高さで、東京タワーは、電波塔としてだけでなく、東京の観光名所としても長く人々に愛されることとなりました。

資料は、昭和45年に内藤多仲を叙勲することについての文部省(現・文部科学省)の閣議請議文書です。

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