本文へ

「栄典のあゆみ」関係年表

年月日 できごと
明治4年(1871)9月 太政官の正院から左院へ、賞牌及び従軍牌並びに褒牌の制式について下問
明治6年1月 左院、制度の概要や勲章のデザインなどについて建議
明治8年4月10日 「賞牌欽定の詔」 「賞牌従軍牌図式及佩用式」(明治8年太政官布告第54号)制定
同年12月31日 有栖川宮幟仁親王ほか7名、勲一等旭日章を受ける(初の勲章授章者)
明治9年2月22日 台湾出兵での功により、西郷従道に勲一等旭日章を授ける(臣下で初の受勲者となる)
同年4月 ルジャンドル(米)・ボアソナード(仏)、勲二等旭日重光章を受ける(初の外国人受勲者)
同年10月12日 賞勲事務局(現在の内閣府賞勲局)を設置
同年11月15日 賞牌を勲章に、従軍牌を従軍記章に改称
明治10年(1877)7月25日 勲等年金令 制定
明治14年12月7日 「褒章条例」(明治14年太政官布告第63号) 制定
明治15年4月17日 工藤仁次郎(青森県平民)、溺水者救助の功により紅綬褒章を受ける
同年7月22日 石田長蔵(大坂府平民)、疏水墾田の実績により藍綬褒章を受ける
同年12月23日 吉田トウ(栃木県平民)、孝貞が認められ緑綬褒章を受ける
明治16年1月4日 叙勲条例を制定し、叙勲基準の明確化を図る
明治21年(1888)1月4日 「各種ノ勲章等級製式及ヒ大勲位菊花章頸飾ノ製式」(明治21年勅令第 1号)公布。宝冠章、旭日桐花大綬章、瑞宝章、大勲位菊花章頸飾が設けられた
明治23年2月11日 金鵄勲章を創設
明治25年12月28日 北里柴三郎、血清療法の発見により勲三等瑞宝章を受ける
明治26年5月29日 並河靖之、七宝技術の開発や内外での高い評価により緑綬褒章を受ける
明治28年 西園寺公望、勲一等瑞宝章を受ける
明治29年4月11日 宝冠章に等級が増設される
同年12月25日 宝冠章の等級増設により、日清戦争に伴う従軍看護婦への叙勲・賜金が行われる(高山みつ、新島八重ら)
明治34年(1901)12月20日 石川倉次、「日本訓盲点字」の開発により勲六等単光旭日章を受ける
明治39年4月1日 東郷平八郎、功一級金鵄勲章および勲一等旭日大綬章を受ける
明治40年(1907) 西園寺公望、勲一等旭日桐花大綬章を受ける
大正7年(1918) 西園寺公望、大勲位菊花大綬章を受ける
大正8年 女性にも瑞宝章が授与されることとなった
昭和3年(1927) 西園寺公望、大勲位菊花章頸飾を受ける
昭和12年(1937)2月11日 「文化勲章令」(昭和12年勅令第9号)公布
昭和21年(1946)5月3日 「官吏任用叙級令施行に伴ふ官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長、 副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件」(昭和21年5月3日閣議決定) 
※日本国憲法制定に伴う新たな叙勲制度の成立まで、生存者叙勲を一時停止することとなった
昭和23年12月23日 上村松園、女性で初めての文化勲章授章者となる
昭和38年(1963)7月12日 「生存者叙勲の開始について」(昭和38年7月12日閣議決定)
昭和39年4月28日 吉田茂、大勲位菊花大綬章を受ける(生存者叙勲再開後初の叙勲)
昭和43年(1968)6月7日 ロバート・ケネディ、勲一等旭日大綬章を受ける
平成元年(1989) 手塚治虫、勲三等瑞宝章を受ける
平成13年(2001)10月29日 「栄典制度の在り方に関する懇談会報告書」 提出
平成14年8月7日 「栄典制度の改革について」(平成14年8月7日閣議決定)