「国民の憲法」を目指して

50.義務制三ケ年延長実施計画

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義務教育の延長は戦前から議論されていましたが、戦争のために実施が延期されていました。

戦後、GHQは、日本に民主的な教育制度を確立させるための具体的方策を求めるため、米国に対日米国教育使節団の派遣を要請していました。昭和21(1946)年3月30日、来日した使節団は約一ケ月の滞在を経て、連合国軍最高司令官のマッカーサーに義務教育年限延長の必要性を報告しました。

昭和21(1946)年8月には、教育に関する重要事項の調査審議を行う教育刷新委員会が設置され、翌22(1947)年2月26日に、「改正憲法に規定する教育の機会均等の趣旨の徹底と国民の文化水準の向上を図り、もって平和的文化国家の根基に培うため、修業年限3ヶ年の中学校を置き昭和22年度から実施する」という「義務制3ケ年延長実施計画」が閣議決定され、同年4月から実施されることとなりました。

資料は、文部大臣による閣議請議せいぎ文書です。

51.あたらしい憲法のはなし

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義務教育制の延長により誕生した中学校では、新たに「社会科」の科目が登場しました。「社会科」は、教材の準備や教員の講習等に時間を要したため、実際には9月からのスタートになりましたが、そこで副教材として利用されたのが『あたらしい憲法のはなし』でした。

執筆者は公法学者の浅井清で、天皇機関説事件では金森徳次郎と同様に攻撃対象とされた人物でした。浅井は後年、「嬉々として学校へ通う子供達の姿を見るにつけて、彼等の将来の幸福のために、正しい憲法の知識を持たせる唯一の機会が与えられたことに感激を覚えた」と記しています。