GHQとの対峙

10.憲法改正要綱(松本委員会憲法改正案)

雑03981100

写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。

憲法改正案は、昭和21(1946)年1月29日とそれに続く数回の閣議で具体的な審議案件となりました。閣議には、松本烝治大臣による「憲法改正私案」、この改正私案を骨子として要綱化した甲案(松本試案)、委員会で展開された各種意見を広く取り入れた乙案などが配付されました。

資料の松本試案は、松本が帝国議会で答弁した四つの原則(松本四原則)―(1)天皇が統治権を総攬そうらんする原則を変更しない、(2)議会の権限を拡張して従来の天皇の権限を制限する、(3)国務大臣が議会に対して責任を負う、(4)個人の権利と自由の保護を強化する―に基づいて取りまとめたものでした。

11.会見記(松本国務大臣手記)

資00177100(件名2)

写真をクリックすると、拡大画像が表示されます。

昭和21(1946)年2月3日、マッカーサーは憲法改正の必須要件を示し、その翌日にはGHQの組織である民政局が起草の作業に着手しています。

2月4日、政府は憲法改正要綱を一応の政府試案として決定、7日に松本烝治大臣が昭和天皇へ奏上そうじょう、翌8日には説明書を付してGHQに提出しました。しかしGHQは、この改正案に現われている立案の根本趣旨を承認し得ないとして、13日、麻布の外務大臣公邸での会談において、GHQ憲法草案(マッカーサー憲法草案)を日本政府に手渡します。

この会談の後、日本政府はGHQに再考を促しますが理解を得られず、22日に松本大臣らとホイットニー民政局長との会見でGHQ憲法草案の「実現に付、直に研究に着手すべきことを約」し、これに沿った日本案の作成に着手することになりました。資料は、22日の会見の記録です。

民政局(Government Section, GS)

GHQの中枢部局であった民政局は、憲法改正など日本の民主化政策を担当し、公務員制度、選挙制度、地方自治などの改革を通して戦後日本の政治機構を形づくる重要な役割を果たした。特に憲法改正では、民政局内に、立法、行政、人権など、分野ごとに条文を起草する7つの委員会と、全体の監督・調整を行う運営委員会を組織し、マッカーサー憲法草案の作成に当たった。憲法改正当時の局長はコートニー・ホイットニー陸軍准将であった。