可能性としての憲法改正

4.憲法問題調査委員会 第1回総会議事録

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連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーは昭和20(1945)年10月11日に幣原内閣総理大臣と会見し、憲法の自由主義化について示唆しさしました。

13日、政府は、内大臣府とは別に憲法調査を始めることとし、25日に国務大臣松本烝治まつもとじょうじを主任とする憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置しました。委員会は、7回の総会と15回の調査会・小委員会を開催、翌年2月2日まで憲法問題の検討を行いました。資料は、会議の議事録です。

松本大臣は、第1回総会(10月27日)で、委員会の使命について「憲法改正案を直ちに作成するということではなく、その必要が起った場合にただちにこれに応じ得るように用意周到に調査研究」し、資料を整えると述べています。

5.憲法問題調査委員会 第2回総会議事録

資00173100(件名1)

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昭和20(1945)年11月1日にGHQから近衛文麿の憲法改正問題への取り組みについては関知しないとの声明が発せられると、直後の11月10日の第2回総会では、松本烝治大臣が「日本をめぐる内外の情勢は誠に切実である。政治的に何事もなしには済まし得ない様に思われる」、「憲法改正問題が極めて近き将来において具体化せられることも当然予想しなければならぬ」と述べ、委員会は調査研究から改正案の提示に向けて方向転換していくことになりました。