明らかになった改正案

17.今次特別議会に提出する案と憲法議会に提出する案

平14内閣00002100(件名72、73)

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資料は、憲法改正の具体的なプロセスを検討したもので、2つの案が検討されていたことが分かります。

第1案は、女性参政権を認めた改正衆議院議員選挙法による第22回総選挙(昭和21(1946)年4月10日投票)後の特別議会に憲法改正案を提出する案でした。第2案は、憲法改正手続に関する部分及び枢密院・貴族院に関する部分のみをまず改正し、その後に、改めて制憲のための「憲法議会」を召集して、憲法改正案を提出するという案でした。

この第2案は、「あまりに理想的であり、理論的に過ぎ、現在の状勢のもとにおいてはとうてい間に合わない、また、そのようにゆっくりした見通しでは、その間何が起るかわからない」として、速やかな憲法改正を目指して第1案に決定しています。

枢密院

大日本帝国憲法下における国政及び皇室に関する天皇の最高諮問機関。憲法に先立ち明治21(1888)年4月30日に創設され、翌年2月11日公布の大日本帝国憲法において、「天皇の諮詢しじゅんこたへ重要の国務を審議」する機関として位置づけられた。議長、副議長のほか、国家の柱石ちゅうせきを担ってきた経歴を持つ枢密顧問官で構成され、会議には天皇が臨席し、国務大臣も出席して議決に参加した。諮詢事項(「諮詢」とは天皇が参考意見を徴すること)は、皇室に関する事項、憲法に関する法律・勅令、対外交渉などの重要国務などで、次第に拡大されていった。議会や内閣から独立して天皇に諮問を行うため、内閣と対立することもあり、政府関係者にとって「鬼門」とされてきた。戦後、帝国憲法改正案の審議を行った後、昭和22(1947)年5月2日に日本国憲法の施行に先立って廃止された。

18.憲法改正草案に対する投書概要速報

平14内閣00004100(件名40)

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憲法改正草案要綱に対する国民の意識は、総選挙と帝国議会を目前に控えた政府にとって見定めがたい問題でした。資料は、内閣が新聞やラジオを通じて求めた投書の概要を、総選挙前に急ぎ取りまとめ、閣議報告した速報です。

これによれば、形式面では「用語の平明化」を求めるものが極めて多く、内容面では天皇主権をとることやその権限を増やす必要があるという意見が過半数に及ぶものの、むしろ天皇の政治的中立性を確立することを望む声も相当数見られたといいます。

また、「戦争抛棄ほうき」については、賛成ではあるが軍備撤廃について「国民的不安の感情」が読み取れ、「知識階級」においては明文として規定する必要はないとする意見が相当数見受けられたとされています。