「失意ノ淵」からの再生

8.憲法草案要綱(憲法研究会)

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政府の憲法問題調査委員会における検討と並行し、政党や民間知識人の間でも憲法改正草案の作成は進められていました。昭和20(1945)年12月26日に記者発表された高野岩三郎、馬場恒吾ばばつねご、森戸辰男、杉森孝次郎、岩淵辰雄、室伏高信むろふせこうしん鈴木安蔵すずきやすぞうの7名からなる憲法研究会の「憲法草案要綱」は、主権在民や人権の尊重などを掲げており、のちのマッカーサー憲法草案に影響を与えたといわれています。

杉森、室伏、鈴木の3名は同日首相官邸に持参して秘書官に要綱を託しましたが、この資料にはその際の杉森と鈴木の名刺も添付されています。

憲法研究会

「憲法草案要綱」を作成した民間知識人のグループ。大原社会問題研究所長の高野岩三郎(1871~1949)の呼び掛けで昭和20(1945)年11月5日に結成された。他のメンバーは、ジャーナリストの馬場恒吾(1875~1956)、早稲田大学教授の杉森孝次郎(1881~1968)、元東京帝国大学経済学部助教授の森戸辰男(1888~1984)、政治評論家の岩淵辰雄(1892~1975)と室伏高信(1892~1970)、憲法史研究者の鈴木安蔵(1904~1983)で、国民主権や生存権規定、寄生的土地所有の廃止などを盛り込んだ改正案を作り上げた。

9.新日本建設に関する詔書

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昭和21(1946)年1月1日、昭和天皇は明治創業の「国是こくぜ」であった「五箇条の御誓文ごせいもん」の精神に立ち返りながら、新たな日本の建設を国民に呼び掛けました。資料は、詔書しょうしょの原本です。国民と天皇との結びつきが「終始相互の信頼と敬愛によりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず」と述べた一節に注目し、「人間宣言」とも呼ばれています。

自ら英文によって起草にあたった幣原喜重郎は、後年、「日本よりむしろ外国の人達に印象を与えたいという気持ちが強かった」と述べています。

外交官出身で英文に堪能であった幣原ですが、詔書のうち、「失意ノ淵ニ沈淪」とあるのは、イギリスの古典作品「天路歴程てんろれきてい」の一節に取材しているとされ、翻訳された詔書案には昭和天皇の発意で冒頭に「五箇条の御誓文」を加える修正が行われたと言われています。

天路歴程(原題The Pilgrim's Progress,1678-1684)

17世紀のイギリス古典宗教文学の傑作で、作者はジョン・バニヤン(John Bunyan)。聖書に次いで広く読まれたといわれるほどプロテスタント世界に影響力のあった作品であった。そのあらすじは、神の都への巡礼に出た滅亡の市に住む男・クリスチァンが、失意の淵を通り、死の影の谷を過ぎ、虚栄の市では投獄されるなどの苦難に遭うが、信仰を持ち続けることで遂に天国の都を望み見るというもの。