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9. 海中沈没品取上器械の発明(浅野政吉)

特許制度が本格的に開始される以前は、発明品の申請は府県を経由して政府へ届け出ることになっていました。ただし、申請に対し実際に政府から与えられたのは特許や専売権ではなく、販売の認可でした。これは、政府が発明者に専売権を与えるのは時期尚早と見ていたからであり、発明品の多くは府県の段階で許認可の是非が判断されていました。しかしながら、この時期申請された発明品には、文明開化によって西洋技術に接した人々の自由な発想と旺盛な起業意欲を感じさせる、ユニークなものが多数見られます。

展示資料は、明治9年東京府の浅野政吉が発明した沈没船の物品引き揚げ機械の図面と引き揚げの施行願いに関する文書です。明治9年2月、東京府の浅野政吉は、沈没船の物品の引き揚げ機械を発明したとして引き揚げの施行願を東京府を経由して内務省に提出しました。これは、明治7年3月にウィーン万国博覧会の出品物や参考品を積んで帰国途中だったニール号が伊豆沖で沈没した事件に触発されてのことと思われます。ニール号には、鎌倉の鶴岡八幡宮所蔵の源頼朝の「太刀」や明治天皇の「大水晶玉」など125点余の国宝級の宝物類が積まれていました。これらは、明治8年から行われていた積荷の引き揚げ作業により半数が回収されましたが、願書が提出された明治9年2月には、同年4月からの作業再開が予定されていました。内務省からの伺書を受けた太政官は、この発明について「未タ十分ノ工夫トモ不相見」としながらも、試験的に許可し更に研究を重ねるようにとの指令を出しています。

東京府下職工浅野政吉海中沈没品取上器械施行願ノ儀伺
海中沈没品取上器機の図
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