花押と顔 高橋是清

高橋是清の花押

大臣の花押に関する限り、名か姓の一字を用いた花押が圧倒的に多いようです。ほんの数例を挙げるだけでも、陸奥宗光の「光」。板垣退助の「退」。井上毅は「毅」に底線を加えた花押を用いています。

そのようななかで、6度の大蔵大臣を経験し、原敬内閣を引き継いで首相を務めた高橋是清の花押は、珍しく姓名とは全く関係のない「恭」という字を形象化したものです。
高橋是清の孫娘の名が「恭」であったことからも、高橋のこの字に対する特別な想いがうかがえますが、現在ではその理由は判然としないのが残念なところです。

ふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」などと呼び親しまれた高橋の花押「恭」もまた、どこかふくよかさを感じさせる形になっています。

主要参考文献
佐藤進一『花押を読む』(平凡社、1988年)
高橋是清

高橋是清(たかはし これきよ)
[1854-1936年]

東京生まれ。13歳の時にアメリカへ渡る。帰国後文部省に入省。
官僚として活躍し、1905年に貴族院議員に勅選。1911年に日銀総裁となる。第1次山本内閣、原敬内閣で大蔵大臣に就任。原が暗殺された直後、財政政策の手腕を買われ第20代内閣総理大臣に就任。
その後も蔵相等を歴任するが、二・二六事件において暗殺された。享年82。