花押と顔 犬養毅

犬養毅の花押
①件名: 第六十一回帝国議会議事経過概要 より
犬養毅の花押
②件名:木材関税引上改正ニ関スル建議ノ件 より

昭和7年(1932)に起きた五・一五事件で斃(たお)れた、当時の内閣総理大臣・犬養毅は、草書体の「毅」の下に底線を加えたもの(写真①)と、丸みを帯びた行書風の「毅」(写真②)の2種類の花押を使用しています。①②はいずれも、当館の所蔵資料「公文雑纂・昭和7年・第29巻・帝国議会一・決議・建議一(請求番号:01992100)」で見ることができます。

犬養と同時代の政治家には、毅の字を名に含む人物が多く、井上毅や寺内正毅なども「毅」の字を元にした花押を用いています。同じ字でも、花押の形は少しずつ異なり、印象が違う点も興味深いところです。

また犬養は、書や漢詩にも秀で、書道家としても数々の優れた作品を残した人物として知られています。

主要参考文献
佐藤進一『花押を読む』(平凡社、1988年)
犬養毅

犬養毅(いぬかい つよし)
[1855-1932年]

岡山生まれ。父は岡山藩士。慶應義塾に学ぶ。新聞記者として西南戦争に従軍。1882年、立憲改進党創立に参画。大同団結運動で活躍。1890年、第1回総選挙で衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで連続当選。第1次大隈内閣では文相、第2次山本内閣では文相と逓相を務める。1924年に加藤高明らと護憲三派内閣を結成。1929年、立憲政友会総裁。1931年に首相となるが、翌年五・一五事件で暗殺される。