平成28年秋の特別展では、明治時代から現代にいたる女性のあゆみをたどります。明治維新後の日本では、社会の近代化とともに、教育、研究、実業、行政、スポーツ、芸術など、多くの分野へ女性が進出し、先駆的な業績を残した女性が現れました。当館所蔵資料等から、時代を超えて輝く女性たちをご紹介します。
女子教育のはじまり
明治維新後の日本女性の近代化は、欧米の知識に触れることから始まりました。明治4年(1871)には、津田梅子、山川(大山)捨松ら女子留学生が岩倉使節団に随行してアメリカに留学しました。また、華族女学校をはじめとする女子教育のための学校が設立されました。
女子教育の目的は、社会の変革と共に良妻賢母を求めるものから自立した女性の育成へと変化していきます。
津田梅子と女子英学塾
明治33年(1900)、2度にわたるアメリカ留学から帰国した津田梅子は、女子英学塾を開校しました。女子英学塾(現在の津田塾大学)では、英語をはじめ、自立した女性を育てることを目的とした教育が行なわれました。資料は昭和6年(1931)に建設された新校舎の図面です。図面に描かれた校舎は、現在も津田塾大学で使用されているハーツホン・ホールです。
女性の社会進出の広がり
女子教育の充実と共に、それまで家庭を中心に生活していた女性が、社会の様々な場所で活躍を始めます。実業家として活躍した鈴木よねのような女性のほか、看護師や電話交換手、タイピスト等の職業に就く女性が現れました。
鈴木よねの緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)受章
鈴木よねは嘉永5年(1852)兵庫に生まれ、明治10年(1877)、神戸の砂糖商鈴木岩治郎と結婚しました。岩治郎が経営する鈴木商店は、日本有数の総合商社として急成長しました。明治27年(1894)の岩治郎の死後はよねが後を継ぎ、女店主として事業を支えました。資料は大正4年(1915)に長年の事業への貢献が評価され、よねに緑綬褒章が授与された時の裁可書です。
戦後の女性政策
戦前の女子教育の充実や、様々な職業分野への女性の進出を経て、戦後は政治の場へも女性の進出が始まります。占領期の改革や日本国憲法の公布・施行によって、日本社会における女性の立場は大きく変わりましたが、労働をはじめ、さまざまな分野で男女の格差は根強く残っていました。昭和60年(1985)の男女雇用機会均等法の公布に続き、男女共同参画社会基本法の制定など、現在も男女共同参画社会の実現への取り組みが続いています。
男女雇用機会均等法の制定
昭和60年(1985)、勤労婦人福祉法を全面的に改正して、男女雇用機会均等法が公布されました。この法律では、雇用の各分野における男女の平等がうたわれています。資料は男女雇用機会均等法案の審議の際に作られた文書です。
記念講演会のお知らせ
- 日時
- 9月25日(日) 14:30 ~ 16:20(会場受付14:00 ~ ) ※事前申込が必要です。
- 場所
- 一橋大学一橋講堂
東京都千代田区一ツ橋2-1-2 学術総合センター内
- 講演者
- 日本ユニセフ協会会長 赤松良子「均等法施行から30年をむかえて」
作家 森まゆみ「女性解放のあけぼのー「青鞜」と平塚らいてうー」
- 応募期間
- 8/15(月)~ 9/16(金)必着
※先着順で受付、定員に達し次第募集を締切ります。(定員500名)
申込方法
- <E-mail でのお申し込み>
- メールの件名を「秋の特別展記念講演会」とし、「uketsuke0925@nikkei.co.jp」へ送付
- <FAX でのお申し込み>
- 必要事項を記載し、「03-6812-8649」へ送付
- <郵送(往復はがき)でのお申し込み>
- 往信用はがき裏側に必須事項を記載のうえ、以下の住所へ送付
-
〒101-0047
東京都千代田区内神田1-6-10 笠原ビル7F ( 株)日経ピーアール内
「秋の特別展記念講演会」申込事務局宛
※返信用はがき表側にご自身のお名前、住所を記載のこと
- ■必要事項
- ①お名前(ふりがな)
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- ③参加人数(制限なし)
- ④ご住所(都道府県・市町村まで)
- ⑤ご連絡先(電話番号)