平成28年春の特別展では、没後400年という節目に当たる徳川家康を取り上げます。家康の誕生から、三河国統一、関東への転封、征夷大将軍任官、江戸開府、大御所時代まで、また家康の事績や様々な逸話、そして、没後、神となり、東照大権現として日光東照宮に祀られるなど、死してなお影響力を持ち続けた徳川家康の生涯をたどります。
徳川氏の遠祖とされる源(新田)義重から家康に至るまでの徳川氏創業の事績を叙述し、その関係史料を集大成した、徳川氏及び家康の事績録です。全1083冊。書名の「朝野旧聞」とは、伝存する記録類を網羅的に採用していることを意味するものと考えられます。
本書は事実の概要を年代順に掲げ、一字を下げて史料の原文を引用し、その典拠史料を明記しています。史料の記事に異同があるものはそれを注記し、必要な点には解説がなされています。
本書は、当時の大学頭であった林述斎が監修し、昌平坂学問所内の沿革調所で、宮崎成身・戸田氏栄ら幕臣21名により文政2年(1819)から開始され、天保13年(1842)に24年の歳月をかけて完成しました。
編纂の目的は、徳川氏創業史の正史の整備でした。従来も徳川氏創業の由緒と家康の事績を明らかにしようとした史料は数多くありましたが、それらは史料の出典が明記されていない等、不十分なものでした。本書はあくまで事実とその典拠史料を挙げる事に力を注ぎ、実証的、客観的な編集方法を採っています。
当館は、江戸幕府の歴代将軍が発給した、判物・朱印状・黒印状を2680通所蔵しています。いずれも、良質の檀紙に書かれており、宛先ごとに編綴され、「徳川家判物并朱黒印」との標題が付されています。
判物とは、花押のある文書を指し、朱黒印とは朱印状と黒印状を指します。朱印状とは朱印を押した文書で、黒印状は黒印を押した文書のことです。
掲載資料は、河内国道明寺(大阪府藤井寺市)に出された寺領寄進状です。
- ※檀紙(だんし)…
- コウゾを原料とする和紙のひとつで、高級公用紙として使われていた。古くはマユミから作られていたと言われている。
江戸時代の檀紙は、ちりめん状のしわがついている。
徳川家康は、江戸幕府開府の前年、慶長7年(1602)6月に、江戸城内本丸「富士見の亭」に文庫(紅葉山文庫の前身の富士見亭文庫)を創建しました。また大御所となり、駿府城へ移った際にも、駿府城内に文庫を造営し、多くの書物を収集していました。三代将軍家光の代に、文庫の管理を行なう書物奉行の役職が設けられ、江戸城紅葉山の麓に文庫が新造されました。これ以後、八代将軍吉宗による蔵書の収集・整備が図られるなど、江戸時代を通じて、将軍の図書館・文書館として機能し続けました。
紅葉山文庫という名称は、明治以後の呼称であり、江戸時代は「御文庫(ごぶんこ)」や「官庫」と称されていました。
紅葉山文庫は、たんなる権威の象徴や将軍のコレクションではなく、施政のためのさまざまな情報を得るための図書館かつ文書館の役割を果たしていました。