地震、噴火、台風、戦災 災害に学ぶ ――明治から現代へ

平成27年度秋の特別展では、近代以降の日本における災害に関する資料を中心に展示します。
地震、噴火、台風等の自然災害だけでなく、戦災、火災等についても取り上げるほか、救護や復興、防災対策等に関する資料もあわせて紹介し、我が国の災害対策の歩みについて振り返ります。

公文書に遺された災害の記録

日本の観測史上最大のマグニチュード(M)9.0の地震を記録し、津波による多くの犠牲者を出した平成23年(2011)3月11日の東日本大震災は、私たちに大きな衝撃を与えました。
震源地の三陸沖では、それまでにもM7.5~8.0の規模の地震が、およそ40年の周期で起こっています。古くは、貞観11年(869)の貞観地震から、明治以降では、明治29年(1896)の明治三陸地震、昭和8年(1933)の昭和三陸地震がよく知られています。

昭和三陸地震の様子

昭和8年3月9日
昭和三陸地震の様子
昭和8年(1933)3月3日午後2時31分頃、岩手県上閉伊郡釜石町(現釜石市)沖を震源とするM8.1の地震が発生し、地震発生の約30分から1時間後に沿岸部が津波に襲われました。

資料は、地震発生から5日後の岩手県田老村(現宮古市田老町)の様子を撮影した写真です。

関東大震災と帝都復興事業

10万人以上の死者・行方不明者を出した関東大震災により、東京は一日にして廃墟と化しました。
しかし、震災直後から復興へ向けた新たな計画が進められていきます。

大東京都市計画道路網図

大東京都市計画道路網図
後藤新平
後藤新平
大正12年(1923)9月1日、わが国の災害史上最悪の被害をもたらしたともいわれる関東大震災が起こりました。
政府は甚大な被害をうけた「東京」「横浜」の復興のために、後藤新平内務大臣を総裁とする帝都復興院を創設し、帝都復興事業を開始します。

資料は、復興局により作成された東京市、郡部の道路計画図です。

自然の脅威

多くの自然災害と隣り合わせの日本列島。
地震、噴火、台風、洪水などの被害状況を伝える資料からは、自然の脅威を感じることができます。

桜島の噴火の様子

大正3年1月12日
桜島の噴火の様子
大正3年(1914)1月12日、鹿児島県の桜島が突如大噴火しました。噴火は同日10時5分頃、西側の山腹から始まり、10分後には東側山腹でも噴火しました。

写真は、最初の噴火から約30分後のもので、猛烈な噴煙をあげる様子が見て取れます。

戦災と復興

戦時下、空襲により日本の各都市は大きな被害をうけました。
被害状況を伝える資料とともに、空襲と防空対策、その後の復興への歩みをたどります。

空襲に対する国民の覚悟

空襲に対する国民の覚悟
資料は、昭和13年(1938)6月に、東部・中部・西部各防衛司令部の指導の下、赤十字博物館が編纂した防空思想の啓発ポスターです。

災害に学ぶ

大きな災害に見舞われる度にさまざまな対策がとられてきました。被害を最小限にする工夫や災害救助、補償に関する対策、災害の予知や防災意識の啓発まで……、災害を契機として定められた法令や施策を紹介します。

災害対策基本法

災害対策基本法
昭和36年(1961)、「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、および災害の復旧を図る」とした災害対策基本法が公布されました。この法律により初めて防災の概念が明示されるとともに、防災に関して国、地方公共団体、公共機関、住民等の防災責任の明確化、具体的な対策・措置などが明記されました。

資料は、災害対策基本法が定められた際の閣議書です。

伊勢湾台風の被災状況

昭和34年(1959)9月28日
伊勢湾台風の被災状況
台風の2日後トラックで避難する被災者の様子。