花押と顔 吉田茂

吉田茂の花押
写真①

吉田茂の花押(かおう)は「茂」を多少形象化したシンプルな花押です。これは所謂「一字体」と呼ばれる花押です(写真①)。

一字体は特定一人を示すため、実名あるいは特定の一字を使うことが基本で、名字を使うことは非常に稀です。

吉田茂の花押2
写真②

また吉田茂は一字体の他に、「茂」の下に底線を入れた花押も使用していました(写真②)。

上下に並行した横線を二本書き、中間に図案を入れたものを「明朝体」といいます。明朝体は明の太祖がこの形式の花押を用いたことに由来し、徳川家康が採用したことから徳川将軍に代々継承され、徳川判とも呼ばれています。上下の横線は天地陰陽を表していると言われていますが、吉田茂のように上下ではなく底線一本にまとめたものも少なくありませんでした。

主要参考文献 
・佐藤進一『花押を読む』(平凡社、1988年)
吉田茂

吉田 茂(よしだ しげる)
[1878-1967年]

東京生まれ。外務省に入り在天津総領事・外務次官を歴任後、1946年に日本自由党総裁となり、1954年まで内閣総理大臣(第45、48~51代)を務めた。
1951年、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約に調印した。戦後日本の外交路線を決定付けた一人でもある。