28. 自家年譜(森山孝盛日記)
老中松平定信に用いられ、目付や先手鉄炮頭などを務めた旗本森山孝盛 (1738―1815)も、水害に見舞われた江戸の様子を詳しく記しています。犠牲者の亡骸数千が鈴ケ森の磯に打ち寄せられたことなど、目を覆いたくなるような惨状を伝える一方で、孝盛は幕府その他による大規模な救済活動にもふれています。すなわち町奉行所が堺町の芝居茶屋に命じて羅災者に「大握飯」を配らせたことや、関東郡代の伊奈半左衛門がいち早く被災現場を視察し、自前で大量の粥や握飯を施行したこと等々。また町奉行の山村信濃守が、幼児を背負って片手で木にしがみついていた女性を御用船で救出させた美談も見えます。『自家年譜』は孝盛の自筆で、全29冊。