戦後の文化交流(1950~1960年代)

東京オリンピック1964

モンゴルのオリンピック初参加

 スポーツを通じた国際交流の大きなイベントであるオリンピックも日モ交流を進める機会となりました。昭和39年(1964)の第18回東京大会はモンゴルが初めて参加したオリンピック大会でした。
 開催国の日本は、オリンピックというスポーツ行事が世界各国民の国際交流や国際親善の促進に寄与するところが大きいととらえていました。
 本資料は文部省体育局による、このオリンピックへ参加した各国からの入国者に関する統計資料です。モンゴルからは大会関係者37名と観客1名の総計38名が入国し、フリースタイル・レスリング、射撃、自転車、体操、陸上の5競技に参加しました。
国立公文書館
平15文科00129100
オリンピック関係外国人の入国者統計表の送付について

民間団体による交流

日本モンゴル協会

 公的な交流以外にも、日モ交流を促した民間団体もありました。昭和39年(1964)8月の原水爆禁止世界大会に出席したモンゴル代表団の歓迎会や、同年10月の東京オリンピックへ出場したモンゴル選手団の接遇を行い、日モの交流を進展させた人々が昭和40年(1965)5月25日に社団法人日本モンゴル協会を設立しました。
 協会の発足後には、日本とモンゴルの外交関係樹立に先んじて、モンゴル革命50周年祝典の招待を受けた松崎陽理事長がウランバートルを昭和46年(1971)に訪問しました。
 本資料は協会の設立趣意書(昭和40年(1965)3月29日付)で、「モンゴル民族の文化を調査研究し、その成果の紹介普及を図るとともに、日本、モンゴル両民族相互の友誼親善を促進すること」という会の目的が書かれています。
外務省外交史料館
I’.1.8.1.1-57
本邦における協会及び文化団体関係 日本モンゴル協会関係

日本モンゴル親善協会

 昭和43年(1968)2月、モンゴル平和友好団体連合会執行委員会D. アディルビシ議長(元モンゴル外務大臣)ら4名が、日本モンゴル親善協会設立総会に出席するため来日しました。当時のモンゴルでは政府ではなく、同執行委員会が資本主義諸国との交流にあたっていたからです。この機会に、外務省の小川平四郎アジア局長が来日一行を昼食に招待し、両国関係等について非公式に意見交換を行いました。
 本資料は、外務省中国課が省内共有用に作成した報告資料です。資料には「日本・モンゴル友好協会」と記載されていますが、後日の記録では、「日本・モンゴル親善協会」と修正されています。
外務省外交史料館
2008-0071
日・モンゴル関係/外交関係樹立(1966~1968年)

交流発展へ向けたモンゴルの決定

 昭和43年(1968)5月23日、D. アディルビシの報告後、中央委員会政治局により以下の4点が決定されました。
  1. 平和友好団体連合会執行委員会を代表し、日モ親善協会の設立を歓迎する。
  2. 日モ親善協会を設立するには平和友好団体連合会執行委員会の承認を得る必要がある。
  3. 昭和43年(1968)に同団体の代表者を平和友好団体連合会執行委員会に招聘することを承認する必要がある。
  4. 昭和44年(1969)に、自由民主党を主導とする要請により、平和友好団体連合会執行委員会が代表者(自民党、公明党、社会党、民社党議員による代表団)を受け入れることを許可するべき。
国立中央公文書館(政党・公共団体関連資料館)
Fund-4, File-30, Unit-414
平和友好団体連合会執行委員長のD. アディルビシによる、日本モンゴル親善協会の会議への参加報告後の、第153回モンゴル人民革命党(MPRP)中央委員会政治局会議の決議

抑留者遺族によるモンゴル墓参

墓参承諾への礼状

 モンゴルに抑留された人の中には、日本に帰ることなく現地で亡くなった人や、行方不明となった人がいました。
 このため、民間団体の未帰還問題協議会が、モンゴルの邦人行方不明者27名の調査及び在モ邦人墓地に対する遺族墓参実現に向け厚生省及び外務省に対して要請を行いました。さらに、昭和41年(1966)4月、駐ソ日本大使を通じて駐ソモンゴル大使に、藤山愛一郎会長からモンゴル政府首相宛ての書簡を手交しました。
 同年5月にはモンゴル政府が遺族による墓参を許可する回答があり、同年8月、遺族と政府職員による戦後初めての墓参が実施されました。墓参団に同行した外務省事務官2名は滞在中にモンゴル外務省第2局長との面談を行い、双方は外交関係についても議論しました。
 本資料は未帰還問題協議会会長がモンゴル人民共和国閣僚会議議長へ、墓参が承諾されたことに対するお礼を述べた書簡です。
外務省外交史料館
2008-0070
日・モンゴル関係/外交関係樹立(1959~1966年)
 こうして双方の交流は広がり深まってゆき、昭和47年(1972)外交関係樹立を迎えます。
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