22 新潟地震

 昭和39年(1964)は、東海道新幹線の開通(10月1日)、東京オリンピックの開幕(10月10日)と、日本の戦後経済の発展を象徴する出来事のあった年でした。しかし、このわずか4ヶ月前の同年6月16日に発生した新潟地震における、石油タンク火災と県営アパートの倒壊は、高度成長期の先端技術を駆使した構造物であっても自然界の前には為す術も無いことを強く印象づけるものでした。
 昭和39年6月16日午後1時1分、新潟県粟島あわしま南方沖を震源とするM7.5の地震が発生し、主に新潟県、山形県、秋田県などの日本海沿岸部で被害が生じました。特に新潟市などで液状化現象が発生して建物が倒壊し、新潟市川岸町の県営アパートのように液状化で基礎ごと地面から浮き上がって横転するという特徴的な現象がみられました。ただし、建物の倒壊速度が比較的ゆっくりであったため、倒れつつある建物から脱出できた場合が多く、地震の規模から考えると奇跡的に少ない被害で済んだことが不幸中の幸いでした。
 また、昭和石油新潟製油所(現昭和シェル石油新潟石油製品輸入基地)の3万リットルの原油タンクが地震による揺れなどで損傷したことにより火災が発生し、周辺のタンクを誘爆炎上させながら約12日間燃え続けました。
 こうした被害に対して、同月30日、政府は、激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律(通称・激甚災害法)を適用することを決定しました。昭和37年に制定された同法は、公共土木施設災害復旧事業について財政援助を受ける場合の規定を定めたものであり、新潟地震への適用は軟弱地盤における液状化対策など復旧には多額の土木費が必要と見込まれたためでした。また、田中角栄蔵相により地震保険の創設が打ちだされ、昭和41年5月18日に地震保険に関する法律が公布されました。
 さらに、本地震においては、国土地理院による水準測量データの解析や、井戸の水位、潮位などのデータから地震の前兆と見られる変動が観測されました。これは昭和38年に日本学術会議から勧告されていた地震予知研究推進を後押しすることとなり、昭和40年度から「地震予知研究計画」が開始されました。

地震保険に関する法律
請求番号:平11総02090100
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