23 松代群発地震

 昭和40年(1965)8月に長野県の松代まつしろ町(現長野市)で小さな地震が発生しました。その後地震の頻度は次第に増え、翌年には、1日に600回弱もの有感地震が起こるようになりました。昭和45年頃まで続いたこの地震は、松代群発地震と呼ばれています。その特徴は、その名の通り「群発」であることでした。本震・余震という区別がなく、ある地域で一定期間に集中的に発生する地震でした。群発地震の原因は、火山起源の炭酸水の噴出によるものと言われています。
 はじめの頃地震の震源地は長野県松代の皆神みなかみ山を中心とした直径8キロメートルの範囲に限られていましたが、時間がたつにつれて震源域が広がっていきました。昭和41年4月には地震数がピークをむかえ、同年4月11日には、松代断層と呼ばれる地割れが出現しました。また、1日に600回を数える揺れは、住民に苦痛を与えるだけでなく、強烈でない揺れでも度重なる震動に堪えきれず家屋が破損するなどの被害がありました。
 また、地震により大量の湧水が発生しました。湧水は温泉として活用されたものもありましたが、大量の塩素が含まれていたため農作物に大きな被害を与えました。さらに多数の場所で大量に湧出したために地滑りを起こした地区もありました。その他、地震と関連する発光現象も見られました。資料は、地震の活発化を受けて、皆神山付近の試錘しすい調査(ボーリング調査)が科学技術庁において検討された際の文書です。
 松代群発地震が発生した昭和40年度から、国家プロジェクトとして「地震予知研究計画」が始まっており、松代群発地震は、直後の昭和43年に発生した十勝沖地震などとともに、地震予知に関する国民の関心を高めるきっかけの一つとなりました。また、本地震は気象庁松代観測所のすぐ近くで発生したこともあり、始まったばかりの地震予知研究計画の資材を投入して観測され、その後の地震予知と防災の推進に貢献することとなりました。

松代頻発地震に関する特別研究地域図(昭和41年4月)
請求番号:昭55 科技00160100
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