17 続く終戦直後の受難 ―枕崎台風と南海地震―
昭和20年(1945)の枕崎台風、翌年の南海地震など終戦直後には度々大きな災害が発生し、戦災により荒廃した国土に追い討ちをかけることとなりました。
昭和20年9月11日頃にマリアナ付近で発生した台風は、同月17日午後2時頃に九州南部に上陸しました。その後、豊後水道、周防灘を経て瀬戸内海に入って広島県を通り、翌18日午前2時頃に兵庫県豊岡町(現豊岡市)付近から日本海に出たのち東北地方北部を通って午後には太平洋側に抜けました。上陸地の枕崎(現鹿児島県枕崎市)では、昭和9年の室戸台風に次ぐ最低気圧である916.6ミリバール(現ヘクトパスカル)を記録しています。この台風で最も被害が大きかったのは、広島県でした。崖崩れや堤防の決壊・流失などが相次ぎ2千人以上の犠牲者がでるなど、空襲で疲弊していた市民に対するさらなる打撃となりました。
さらに、枕崎台風から約1ヶ月後の10月に発生した阿久根台風は枕崎台風とほぼ同じ経路を通過したため被害を拡大させました。昭和20年において、枕崎台風や阿久根台風の被害は、冷害とともに農産物に深刻な被害を及ぼし、戦後の食糧難を一層深刻なものとさせる要因となりました。
また、昭和21年12月21日午前4時19分には、和歌山県潮岬沖を震源とするM8.0の南海地震が発生しました。被害は中部以西の日本各地にわたり、高知県、徳島県、和歌山県を中心に死者・行方不明者が1300人以上にのぼりました、また、東海から九州地方にいたる海岸に高さ4〜6メートルの津波が押し寄せました。
このように終戦直後に相次いだ災害により、戦災で焦土と化した各地は復旧ままならない状況下で損害を被ることとなり、物資の乏しい中での復旧・復興に困難を極めることとなりました。資料は、枕崎台風の被災者に対する租税減免、徴収猶予等について閣議決定した際の文書と、南海地震発生から7日後の昭和21年12月28日の香川県知事から内務大臣などへの報告書です。