24 雲仙普賢岳の噴火

 長崎県島原半島の雲仙普賢岳うんぜんふげんだけから突如噴火が始まったのは、平成2年(1990)11月17日未明のことでした。雲仙普賢岳の噴火は、寛政4年(1792)以来198年ぶりのことでした。噴火活動は4年3ヶ月に及び、その後の防災対策などに影響を与える様々な教訓と課題をもたらしました。
 平成2年11月17日の噴火後の小康状態を経て、翌年2月、4月に再噴火したのち、5月20日には溶岩ドームが成長をはじめ、同月24日普賢岳東急斜面で火砕流が発生し、26日には民家へ500メートルのところまで迫りました。火砕流はその後も発生し、6月3日には、死者・行方不明者43人の被害を及ぼしました。被害者の多くは避難勧告地域で取材中の報道関係者や警備中の消防団員などでしたが、多数の犠牲者が発生したのには、当時火砕流の危険性への認識が十分に広まっていなかったことがあげられます。その後、島原市により、被害が及ぶ可能性のある地域が「避難勧告」ではなく、災害対策基本法に基づき、人が居住する地域ではじめて、無許可での立入が禁止される「警戒区域」に指定されたことにより、被害は激減しました。
 また、本災害における危機管理の面において画期的だったのは、自衛隊と九州大学観測所との緊密な火山監視態勢でした。両者は協同で火山観測を行い、その成果を関係機関及び地元住民へ24時間リアルタイムに情報提供したことで、民心の安定と復旧作業の進展、火山活動研究に大きく貢献しました。
 資料は、平成8年1月31日時点での「雲仙岳噴火災害復興計画概要図」です。雲仙普賢岳の噴火災害は、被災期間が長期化したことから、復興振興計画の策定、災害対策基金の創設、防災集団移転事業等、災害復興と地域振興が同時に進められました。

雲仙岳噴火災害復興計画概要図(平成8 年1 月31 日現在)
請求番号:平18 環境00222100
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