テーマで学ぶ今号のアーカイブ「徳川家康」

徳川家判物并朱黒印 はんもつならびにしゅこくいん

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御書物奉行誓詞

【請求番号:特108-0001】

 判物とは、花押(かおう)のある文書を指し、朱黒印とは朱印を押した朱印状と黒印を押した黒印状を指します。
 家康は慶長8年(1603)に征夷大将軍に任官すると、三河国や遠江国、畿内近国の諸寺社に対して、数多くの寺領寄進状・社領寄進状を発給しました。画像は、河内国道明寺(大阪府藤井寺市)に出された寺領寄進状で、「源家康」という朱印が押されています。「任先規」(先規に任せ)とありますが、これはすでに豊臣秀吉により、寺領が認められており、家康はそれを追認し、さらに「竹木門前諸役免許」(山林竹木の伐採・収納を許可し、門前【附属地】の諸役免除の特権)を追加しています。

上野山内並紅葉山日光山徳川廟所処分 びょうしょ

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古器旧物各地方ニ於テ保存

【請求番号:太00135100】

 江戸幕府滅亡後の明治2年(1869)3月5日、家康を祀る東照宮の処分等について、神祇官(じんぎかん)から太政官の弁官宛てに上申書が提出されました。その内容は、家康の命日である4月17日に東京中の諸寺院で行われる東照宮祭祀は中止すること、一方で、民衆に上野東照宮への参詣を許可し、そこで祭典を行うようにすれば、人心安定の一助になるというものでした。同様に、下野日光山東照宮でも簡素な祭典を日光県へ命じるべきとも上申しています。当時、東照宮祭礼が人心鎮撫(じんしんちんぶ)の一つとして認識されていたことがわかります。