明治22年(1889)7月1日に、新橋~神戸間の東海道線の全線が開通しました。同年7月6日に鉄道局長官井上勝が提出した報告「鉄道局長官子爵井上勝東京神戸間鉄道全通運輸開業ニ至リシニ付其顛末ヲ具状ス」には、東京から京都を経由して神戸まで到達する路線を敷設することが明治2年(1869)に決まってから、完成に至るまでの紆余曲折が記されています。
着工から明治10年(1877)までに東京~横浜、神戸~大阪、神戸~京都間が開通しますが、その後は政府が「内乱外患」に悩まされ、「国庫モ亦富裕ナラサリシ事情」もあり、工事は思うように進みません。明治16年(1883)に東京~大阪間を山間部の中山道ルートで敷設することが決まりますが、費用や工期などを鑑み、名古屋より東は東海道経由に変更されることになります。報告ではこのことが「以テ今日ノ成功ヲ奏スルヲ得タルモノナリ」と評価されています。
報告を記した井上勝は長州五傑などといわれ、幕末に長州藩から派遣されてヨーロッパに留学し、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン( UCL)で鉱山技術や鉄道技術などを学びました。東海道線敷設などの功績から「日本の鉄道の父」と称されています。20年にわたる念願の達成に思いもひとしおであったことでしょうが、報告は「専任ノ大小僚属」が時に「夜ニ連リ暁ニ徹スル」業務をこなし、「各自注意シテ経費ヲ節省シ」たからこそ業務が成し遂げられたという「功労ヲ推薦」する内容で締めくくられています。
東海道線は日本の東西を結ぶ大動脈として、毎日多くの乗客を目的地へ運んでいる。
「鉄道局長官子爵井上勝東京神戸間鉄道全通
運輸開業ニ至リシニ付其顛末ヲ具状ス」