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昭和20年6月~7月
本土決戦の準備とポツダム宣言

 日本はドイツ、イタリアの降伏後も連合国と戦争を続けていました。6月22日、本土決戦ほんどけっせんに備え、戦時緊急措置法せんじきんきゅうそちほうが定められました。25日には沖縄での組織的な戦闘の終了が発表されます。7月に入るとドイツでポツダム会議が開かれ、ドイツの戦後処理について、アメリカ、イギリス、ソビエト連邦(現ロシア連邦)の間で話し合われました。また、日本に対して降伏を求めるポツダム宣言が7月26日に発表されます。
 ポツダム会議に先立つ7月16日、アメリカのニューメキシコ州で世界初の核実験が行われました。アメリカは原子爆弾を完成させ、ポツダム会議が行われている最中に、日本への原爆投下が決定されました。

沖縄本島失陥の際の内閣告諭案 [請求番号: 類02890100]

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 鈴木内閣は、6月25日の沖縄本島における組織的な戦闘の終了を受けて、26日に内閣の見解を発表しました。資料は閣議で検討された告諭(国民に向けて発表する言葉)案です。

戦時緊急措置法の制定 [請求番号: 平21法制00005100]

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 本土決戦に備え、6月22日に戦時緊急措置法が定められました。この法律は、政府に立法権を含む強い権限を与える内容でした。衆議院では議会の役割を否定するものとして強い反対が起きましたが、議会の代表で構成する諮問機関が設置されることになり、法案は可決されました。資料は、6月5日に内閣が作成した戦時緊急措置法の原案です。