岩倉使節団には、欧米へ向かう留学生が同行しました。その中には、津つ田だ梅うめ子こ(1864〜1929、後の津田塾大学創立者)をはじめとする、5名の女子留学生が含まれていました。資料からは、津田梅子らの名前などが確認できます。 資料が含まれる「公文録」は、「公文附属の図」とともに重要文化財に指定されています。