13.黒部川第四発電所建設への挑戦

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黒部川第四発電所工事概要(昭和31年9月)

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昭和30〜40年代にかけて電力需要は急増し、急速かつ大量の電力供給が要請されるようになりました。各電力会社は、大規模火力発電所を建設して通常時の需要に対応するとともに、ピーク時の供給力として水力発電所を開発しました。

昭和31年(1956)から建設が開始された黒部川(くろべかわ)第四発電所は、黒部川上流の標高1448mの地点に、堤高186m、堤頂長495m(計画値)、有効貯水量1億6000万立法メートル(計画値)のドーム型アーチ式ダムを設け、地下に設けた発電所で25万8000kWを出力しようと計画されたものでした。その建設は、当時の土木建設技術、水力発電技術の粋を集めた大プロジェクトでした。工事は難局の連続でしたが、最大の難所は、大町トンネル掘削工事における破砕帯(はさいたい)(岩盤の中で砕けた岩の隙間に地下水を大量に含んだ軟弱な地層)の突破でした。10本の水抜き用トンネルを掘って湧水の量を減らし、セメントと化学薬液を混合して注入するハイドロック法を用いて岩盤を強化しながら約7ヶ月を費やして破砕帯を克服したエピソードは、映画や小説等でよく知られています。ダムは、着工後約7年の歳月を費やし、延べ1000万人の労力と513億円を投じて、昭和38年6月に完成しました。なお、工事資金の調達に際し、世界銀行から3700万ドル(133億2000万円)の借款を得ました。

資料は、着工まもなくの工事概要で、第四発電所以外にも7つの発電所の建設が計画されていたことがわかります。第四発電所の建設は、その調整能力によって下流の発電施設の出力を高めるとともに、黒部川水系に発電所の新増設を可能とすることが期待されたのです。実際、新黒部川第三発電所などが建設され、黒部川水系は合計60万kWの発電能力を誇るようになりました。

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