14 隠された地震の記録 ―東南海地震と三河地震―

 昭和19年(1944)12月には東南海地震、その約1ヶ月後の昭和20年1月には三河地震が発生しました。終戦まで1年以内に発生した2つの地震は、日本の劣勢が色濃くなった戦時下に起こり、軍需工場が集中する東海地方に大きな打撃を与えたことから、当時行われていた報道管制により、地震の報道がほとんどなされませんでした。したがって、被害の詳細な記録などが少なく、その正確な様相は明らかではありません。
 東南海地震は、昭和19年12月7日午後1時36分に発生した、和歌山県新宮市付近を震源とするM7.9の地震です。現在の震度6〜7相当の強い揺れにより、愛知・三重・静岡の各県で大きな被害となりました。発生から8日後の静岡県知事からの報告によれば、太田川、菊川沿いに被害が集中しており、建物の倒壊などにより280人以上の死者が出ていたことがわかります。資料は、東南海地震発生当日の内務省警保局図書課新聞検閲係の『勤務日誌』です。災害状況の報道について、軍事施設の被害状況など「戦力低下ヲ推知セシムルガ如キ事項」や「被害現場写真」の掲載を禁じる通達が主要報道各社に出されたことが記録されています。
 三河地震は、昭和20年1月13日午前3時38分、愛知県東部に発生したM6.8の内陸直下型地震です。被害は、愛知県・三重県に集中しており、夜明け前に起きたため、多くの住民は就寝中のところ倒壊した家屋の下敷きとなり、多数の犠牲者がでました。特に、先に同地域で発生していた東南海地震により被害を受けたところでは、家屋の修理もままならないまま再度地震を受けたため被害を拡大させた面もあったほか、集団疎開していた児童が寺院の下敷きとなり犠牲になった例もありました。資料は、三河地震における国庫補助規程に関する文書です。
 東南海地震と三河地震は「南海トラフの巨大地震発生前後に内陸に大地震がおこる可能性が高い」といわれる典型的な例であり、断層が浜名湖で止まり駿河湾内部に達しなかったため、早くから、将来東海地震が発生するのではないかと懸念されました。現在では地震に備え、静岡県を中心に地震防災対策がとられています。

東南海地震の報道についての通達
請求番号:返青42003000

昭和二十年一月ノ震災ニ因ル愛知県及三重県災害土木費国庫補助規程ヲ定ム
請求番号:類02924100
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