13.通貨・銀行制度の整備
明治初め、金・銀・銭貨や藩札などの江戸時代の貨幣のほか、政府及び民間の為替会社より発行された各種の紙幣が流通したため、通貨制度は混乱を極めました。こうした状況に対して、明治政府は、通貨制度の統一を図るための諸政策を展開しました。
貨幣については、貨幣の改鋳と統一のため、外国製の機械による国産貨幣の製造を目指し、明治3年(1870)に大阪にイギリス人建築技師ウォートルスの設計による貨幣製造工場を建築しました。写真は、翌年2月に行われた大阪造幣寮(おおさかぞうへいりょう)の開業式の様子です。また、明治4年に、金貨を貨幣の基本とし(金本位制)、単位を円と改め、十進法を採用することなどを定めた新貨条例(しんかじょうれい)を制定しました。
紙幣については、旧紙幣の回収及びこれまで発行されていた不換紙幣(ふかんしへい)の整理が急務でした。このため、明治5年(1872)に国立銀行条例を制定し、金貨兌換の国立銀行券を発行する国立銀行(民間)を設立しました。当初、国立銀行紙幣はすぐに金貨に兌換され流通せず、銀行の経営も振るいませんでした。しかし、明治9年に条例が改正され、正貨準備金が不用になるなど設立条件の緩和が図られると、金禄公債(きんろくこうさい)を元手に銀行の設立が可能となり、明治12年までに全国に153の国立銀行が誕生しました。