7.士族反乱

明治初期、明治新政府が推進した身分秩序の再編により、既得権益を奪われた士族たちがたびたび反乱を起こしました。明治7年(1874)に佐賀の乱、同9年に神風連(じんぷうれん)の乱(熊本県)、秋月の乱(福岡県)、萩の乱(山口県)などが相次いで発生しています。そのうち最大規模のものが、鹿児島県士族が中心となり、西郷隆盛を擁立して引き起こした明治10年の西南戦争です。明治政府は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)を征討総督に、山縣有朋と川村純義(かわむらすみよし)を参軍に任命し、征討軍を九州へ差し向けました。

西南戦争では、新しい通信技術であった電信が活用され、現地の戦況が京都・東京へも短時間で届けられました。国立公文書館所蔵「公文録」の中にこれらの電報の原書や訳文などが多く伝わっており、西南戦争研究の基礎資料として利用されています。宮内公文書館にも「西南電報録」など同種の電報の写しや原書が伝わっており、明治天皇及び宮内省へ戦況が報告されていたことが窺えます。

展示資料は、宮内公文書館が所蔵している「西南征討録」全9冊です。内容は、出陣・凱旋時に行われた儀式関係の文書や功労者・戦死者遺族への恩賜・慰問使の派遣などに関する文書です。

西南事件電報録

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  • 西南事件電報録1
  • 西南事件電報録2

西南征討録

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