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山県有朋

 第3代、第9代内閣総理大臣。長州藩下級藩士の山県有稔の子。通称小助。吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作の奇兵隊に所属。第2次長州征伐で幕府軍と戦いました。戊辰戦争に際しては、長州藩兵の指揮官として出征。北陸道鎮撫総督兼会津征討越後口の参謀として、北越に転戦しました。
  維新後、明治2〜3年にヨーロッパに派遣され、帰国後、ドイツを範として、徴兵令の施行をはじめとする新兵制確立にあたりました。明治6(1873)年、陸軍卿となり、西郷隆盛の辞任後、軍部の中心人物となりました。また、西南戦争、明治14年の政変後は、伊藤博文らとともに、政府の中心人物となりました。地方制度の制定等にあたり、明治22(1889)年12月、臨時首相を務めていた三条実美の後を受けて、内閣総理大臣に就任。明治31(1898)年11月、隈板内閣の総辞職後、2度目の首相となりました。日露戦争時の参謀総長。講和後、枢密院議長。以後、大正期にかけて、元老として、官僚への隠然たる指導力により、政界を指導しました。大正11(1922)年死去。

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