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黒田清隆

 第2代内閣総理大臣。薩摩藩士黒田清行の子。通称は了介。幕末期に藩主をたすけて国事に奔走。慶応4(1868)年鳥羽伏見の戦いに従い、さらに北越征討参謀、明治2(1869)年、函館征討参謀として戦功を立てるとともに、旧幕府軍の主将榎本武揚(1836〜1908)の助命にも尽力し、後に榎本を対露政策に活用しました。
 明治3(1870)年北海道開拓次官。明治7(1874)年同長官となり、北海道の開拓事業にあたりました。この間、明治6(1873)年には樺太放棄論を建議して、千島樺太交換条約締結への路線をつくり、明治10(1877)年の西南戦争に征討参軍として従事。明治14(1881)年に北海道開拓使の官有物の払い下げをめぐる政変(明治14年政変)が起こりました。翌年、開拓長官を辞して内閣顧問。明治21(1888)年、内閣総理大臣となり、大隈外相とともに条約改正にあたりましたが、明治22(1889)年10月、条約改正の頓挫により、辞職しました。その後、枢密院議長などを歴任。明治33(1900)年死去。

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黒田清隆写真