日本案の起草は3月11日を目途に進められます。しかし、総司令部から督促があり、結局予定を繰り上げて、3月4日、日本文の草案のまま提出します。3月4日から5日にかけて、総司令部において日本側草案の英訳、草案の逐条審議が行われ、確定草案が成立します。佐藤達夫はそのときの状況について手記を残しています。