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44.在阪中日記ざいはんちゅうにっき

元治元年(1864)7月、京都における尊攘派の勢力挽回を期した戦い(禁門の変)に敗れた長州藩では、幕府の征討軍を前に藩内保守派が勢力を回復し、幕府に恭順の意を表しました(第一次長州戦争)。しかし高杉晋作(たかすぎしんさく)らの力で反幕派が主導権を奪い返すと、緊張は再び高まり、慶応元年(1865)5月16日、将軍家茂(いえもち)は軍を率いて江戸を出発。幕府の大軍は長州勢との戦闘(第二次長州戦争)が始まる翌年6月まで、大坂に駐留することになります。

『在阪中日記』は、慶応元年5月16日から翌年2月21日まで、家茂一行の行動をごく簡潔に箇条書きした公的記録。特に変わった記事は見られませんが、注目されるのは、5月17日以降、毎晩日替わりで用いられた「御合辞(おあいことば)」(合言葉)が漏らさず記されていることです。たとえば5月17日の合言葉は「勇兵」で翌日は「打泰」、翌々日は「剛列」という具合。なぜ毎晩異なる合言葉が必要だったのか。理由は明らかでありませんが、こんな些細な事からも、われわれは、幕末という時代の緊迫感を感じ取ることができます。全4冊。

在阪中日記

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