明治14年の政変を経て、伊藤博文らとともに、政府の最高実力者となった山県は、内政の諸問題にも深く関与していきます。 当時、課題となっていた東京・大阪間の幹線鉄道の建設に関し、国内防衛という軍事上の理由から東海道経由でなく、高崎・大垣間の中山道経由を主張しましたが、中山道経由の場合、山岳部の工事が予想以上に難しく、結局、工事費が安く、鉄道の早期敷設が可能な東海道経由となります。
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