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黒田清隆 > 3.開拓長官黒田清隆千島州へ出張(明治8年)
明治7(1874)年1月、黒田の片腕として北海道開拓に当っていた榎本武揚をロシア公使として、樺太放棄、全千島獲得に当たらせました。同年8月、黒田は参議兼開拓長官となりました。名実ともに、北海道開拓のトップに立ったのです。
明治8(1875)年5月、「千島樺太交換条約(樺太千島交換条約ともいう)」の調印により、樺太問題は決着しました。
この資料には、黒田長官が明治9(1876)年千島州の択捉島まで視察に行くことが記されています。
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