明治3(1870)年5月、黒田は樺太専任の開拓次官となり、同年7月、樺太を訪問。同年10月、黒田は北海道の開拓に専念すべきこと並びに欧米の開拓方法に学ぶことを主張、政府に容れられることとなったのです。
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