公文書に見る近代化の歩み

平成30年(2018)は、明治元年(1868)から起算して満150年の年に当たります。明治は、政治、外交、産業、教育など、様々な形で近代化の歩みを進めた時代であり、それは現在の国の基本的な形につながっています。ここでは、当館のデジタルアーカイブから近代化の歩みを感じられる公文書をご紹介します

政治

選挙によって選ばれた国民の代表が政治に参加するという、現在につながる政治の仕組みが生まれたのは明治時代です。明治14年(1881)、板垣退助らを中心とした自由民権運動の高まりを受けて、国会開設を約束した勅諭が出されました。政府内では伊藤博文を中心に憲法案の起草が進められ、明治22年(1889)に選挙によって選ばれた議員が議会を組織することが記された大日本帝国憲法が発布されました。当館に所蔵されている、全国各地から提出された国会開設を求める建白書や、板垣が暴漢に襲われた際の報告書、憲法制定に当たって欧州で調査すべきことを箇条書きにした文書などからは、奔走する人々の息遣いを感じることができます。

「公文別録・板垣退助遭害一件・明治十五年・第一巻・明治十五年」
板垣の言葉として「我今汝ラ手ニ死スルコトアランモ自由ハ永世不滅ナルヘキ」と記録されている。この言葉は資料によって表現の差はあるが、やがて「板垣死すとも自由は死せず」となって世に広まった。同資料には板垣を襲った暴漢の供述書なども残されている。

「明治十五年三月十四日出帆参議伊藤博文欧州派遣ノ件」
欧州に派遣された伊藤博文に任務として与えられた取り調べ事項。詳細に記載された事項に、その責務の重さが伺える。

PickUp

デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―8.国会開設前夜


インターネット特別展(アジア歴史資料センター)「知っていましたか? 近代日本のこんな歴史」―板垣退助暗殺未遂事件 ~「板垣死すとも自由は死せず」~


デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―9.大日本帝国憲法の発布


外交

明治時代は、幕末に諸外国と結んだ不平等条約を改正し、対等な関係を築こうとした時代でもありました。明治4年(1871)、岩倉具視をはじめとした使節団が欧米へ派遣され、政治制度などに関する多くの知見を得ました。その後、条約改正の条件として各国から求められてきた法典の整備が進められ、明治27年(1894)に調印された日英通商航海条約を契機に条約改正は大きく前進。明治44年(1911)の日米通商航海条約等の締結により条約改正が達成され、国際社会の中で日本は各国と対等な地位を得ました。当館には、諸外国での様々な経験や驚きが記載された岩倉使節団の報告書とともに、それからわずか40年余りの間に達成された条約改正に関する資料が残されています。

「特命全権大使米欧回覧実記」
13か国を訪問した岩倉使節団の行動とともに、現地の様子を描いた様々な図版が残されている。写真はピサの斜塔を描いた図版。

「日米通商航海条約」
明治38年(1905)の日露戦争勝利を受けて日本の国際的地位は高まった。その6年後に日米通商航海条約が結ばれ、関税自主権の完全回復を達成。

PickUp

デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―4.岩倉使節団


デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―11.条約改正交渉


インターネット特別展(アジア歴史資料センター)「公文書に見る岩倉使節団 智識ヲ世界ニ求メ」


産業

明治時代には、国をあげて近代化が目指され、様々な産業が発達しました。官営模範工場の設立が積極的に進められ、明治5年(1872)には富岡製糸場が操業。製糸業は欧米向けの輸出産業として急速に発展しました。紡績業のみならず、鉱業、鉄鋼業などが発展し人口が増加したことは、交通機関の発達へとつながりました。国内産業の発展を図るための取組として開かれた内国勧業博覧会は、新たな技術が生み出されるきっかけとなりました。当館では、富岡製糸場や八幡製鉄所の設立や操業に関する文書、東京・高崎間の鉄道の実測図、内国博覧会の賞牌や出展された発明品に関する文書など、産業の発展につながった様々な文書を所蔵しています。

「上野国富岡製糸場設立ノ儀伺」
フランス人技師ブリューナが実地検分を行い、富岡製糸場の建設地として、群馬県甘楽郡富岡町の陣屋跡と呼ばれた場所を選定した経緯が記されており、用地の図面が添付されている。

「公文附属の図・二二六号 東京高崎間鉄道線路図」
明治15年(1882)の鉄道計画図。生糸や絹織物を群馬県から貿易港の横浜まで運ぶため、前橋と品川を結ぶ計画であったが、翌年、上野ー熊谷間で開業、さらにその翌年に高崎、前橋まで延長され、今日の高崎線の姿となった。

PickUp

デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―20.明治の産業


デジタル展示「公文書にみる発明のチカラ―明治期の産業技術と発明家たち―」―第一部 内国勧業博覧会―明治初年の殖産興業―


教育

明治時代は現代につながる公教育制度の出発点でもあります。近代国家の設立を目指して教育の地域差や偏りを是正するため、明治5年(1872)の学制によって6歳以上の男女に就学が義務づけられました。また、明治12年(1879)には、より地方の実情に適合した制度を目指して教育令が実施されました。明治3年(1870)に設立されたフェリス女学校や築地A六番女学校などのキリスト教主義学校は、女子教育の先駆的役割を果たしました。当館には、学制・教育令や学校の設置に関する文書だけではなく、教科書の適否を調査したリストやアメリカの万国博覧会に出品された教科書や教具の写真など、当時の様相を浮かび上がらせる資料が多く所蔵されています。

「公文附属の図・一〇七号米国博覧会出品本邦教育物品臚列場写真」
明治9年(1876)のフィラデルフィア万国博物館に、日本の歴史や教科書、教具などが出品された。大きなそろばんや五十音図などが見て取れる。

「文部省学制原案」
身分・職業・領域・性別に関わらず、すべての人々の営みに学びが必要であることが説かれた。

PickUp

デジタル展示「近代国家日本の登場―公文書に見る明治」―15.教育勅語


デジタル展示「学びの系譜―江戸時代から現代まで―」

「明治150年」に向けた取組

「明治150年」をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することを目指し、様々な取組が行われます。

基本的な考え方と施策

「明治150年」に向けた機運を高めるために

PickUp

経済産業省  明治150年記念登録証の作成


商標の登録証について、出願人の希望に応じ、明治時代の登録証と同様のデザインの復刻版を記念追加発行。


明治以降の歩みを次世代に遺す
日本の近代化の歩みを改めて整理し、未来に遺すことにより、次世代を担う若者にこれからの日本の在り方を考えてもらう契機とする。

PickUp

外務省  デジタルアーカイブ
      「明治150年記念 外交史料館所蔵史料の紹介と国書・親書でたどる近代日本と諸外国との外交関係」


幕末から昭和にかけての外交史料館所蔵史料を検索サービスにより紹介する予定。戦前期の国書・親書をデジタル化し、近代日本が諸外国と外交関係を構築した経緯を画像などを見ながら辿れるように、デジタルアーカイブとして公開することを検討中。


明治の精神に学び、更に飛躍する国へ
機会の平等、和魂洋才など、明治の精神を捉えて日本の強みを再認識し、現代に活かすことで、更なる発展を目指す基礎とする。

PickUp

文部科学省  大学図書館が所蔵する明治期コレクション企画展示の実施


明治期の技術や文化に関する遺産に触れる機会の充実のため、国立公文書館が実施する明治150年関連展示会と連携して大学図書館が所蔵する明治期コレクションの企画展を開催。具体的な連携方策として、時期を合わせた展示会の開催(現時点では、上記2大学において検討中)やポスター、チラシ等の共有による相互PRを実施予定。


「明治150年」関連の国の取組はこちらからご確認頂けます。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/torikumi-kuni.html

ポータルサイトとロゴマーク

首相官邸のwebサイトに設けられたポータルサイトでは、「明治150年」に関する政府、地方公共団体、民間団体の取組やデジタルアーカイブを掲載しています。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/

イベントカレンダー
月別、地域別に「明治150年」関連イベントのスケジュールを見ることができます。

デジタルアーカイブ
関係府省庁、大学関連の「明治150年」にまつわるデジタルアーカイブ集を見ることができます。

主な取組
明治150年の基本的な考え方や施策の方向性について知ることができます。

リンク集
関係府省庁、地方自治体、法人・民間・その他の関係サイトを見ることができます。


「明治150年」関連施策推進ロゴマーク


150年前の明治からの大きな一歩を、明治の「明」の字の足で表現しています。さらに、ジャパンカラーの赤と白を使い、150年の丸で日の出と日の丸を表現しています。新たな一歩、未来への一歩のきっかけを作った明治を表すとともに、明日へ向かう一歩への思いが込められています。


明治時代と公文書管理制度

 日本の公文書管理の変遷を辿ると、明治18年(1885)の内閣制度創設が大きな変革のきっかけとなったことが分かります。行政組織が拡大したことにより、行政事務の合理性や効率化が求められ、文書管理も変革を迎えたのです。
 内閣や各省には記録局(課)が設置されました。内閣に設置された内閣記録局で編纂保存された政府の公文書は、現在も当館に多く所蔵されています。また、各省の記録組織設置を定めた各省官制(勅令2号、明治19年(1886)2月27日公布)は、各省の統一的な文書管理に関わる法規であり、処分済みの文書の扱いや公文の取扱いなど、重要な内容を含むものでした。
 これらの改革は、様々な要因により十分に機能しなかった側面もありますが、その記録保存に対する思いは、確かに現在へと受け継がれています。明治時代は、公文書管理を語る上でも重要な時代なのです。
【参考文献】「内閣制創設期における記録局設置についての一考察」(渡邉佳子著、『GCAS report Vol. 2 : 学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻研究年報』所収)

1「 明治天皇御手許書類:三池炭砿写真」宮内公文書館所蔵
2 「第1回仮議事堂貴族院議場」 帝国議会議事堂建築報告書から 参議院所蔵
3 「明治三十三年三月 袴着用(海老茶又ハ紫紺)」 お茶の水女子大学所蔵
4 「ロシア皇太子ニコライほか集合写真」宮内公文書館所蔵