大日本帝国憲法をつくる

國學院大學図書館蔵
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国会開設と立憲政治の確立

井上毅と「梧陰文庫」

「梧陰文庫」

井上毅の大日本帝国憲法草稿、甲案と乙案

明治14年(1881)の国会開設の勅諭の発布以後、政府内では伊藤博文を中心に憲法案の起草が進められました。「起草」とは法律等の草案をつくるという意味です。
明治15年(1882)、伊藤博文は、ヨーロッパへ憲法調査に赴き、そこで君主権が強く、議会の権限が弱いプロイセンの憲法を学びました。当時の日本では、欧米列強に対抗するため、天皇や政府を中心とした富国強兵政策が急務でした。そのため君主権が強いプロイセン憲法は、日本の目指していた姿に合っていたのです。
帰国後、伊藤博文は、井上毅(いのうえ・こわし)、伊東巳代治(いとう・みよじ)、金子堅太郎(かねこ・けんたろう)等とプロイセン憲法に範をとって憲法案を起草しました。
井上毅(いのうえ・こわし[1844-1895])は現在の熊本県出身の官僚です。明治4年(1871)から司法省の官僚となり、その後、大久保利通や伊藤博文に、その才能を認められました。フランスやドイツにも留学経験があり、プロイセンの憲法の内容を翻訳した『王国建国法』の出版にも携わりました。
國學院大學図書館には、井上毅の憲法の草稿を含む資料が所蔵されています。 そのコレクションは総じて梧陰(ごいん)文庫と呼ばれています。「梧陰」とは井上毅の雅号の一つです。
また、井上毅は、後に出される教育勅語、皇室典範、高等学校令等、明治期に成立した各種詔勅・法律の原案の起草に尽力したことから、「明治国家建設のグランドデザイナー」とも称されています。
梧陰文庫は、文書6,603点、図書872点で構成されており、井上毅が学生時代に勉強のために使用したノートや図書から、官僚時代の記録まで幅広く含まれています。
梧陰文庫の文書(第Ⅰ部)の中に「秘庫之部」と呼ばれる資料群があります。「秘庫之部」は、井上毅自身が「秘庫」と称し、特に重要とした書類である皇室典範、条約改正関係、議院法、日清関係等の書類や井上の意見書が含まれています。
その他、井上毅が作成した国会開設の勅諭案や憲法発布勅語案(憲法発布式典での勅語の草案)、内閣改正詔勅案(太政官制を廃止し新たに内閣制度を創設する旨の詔勅案)等の資料も梧陰文庫に収められています。
大日本帝国憲法の草稿も、この梧陰文庫の「秘庫之部」に収められています。
井上毅は、大日本帝国憲法の草稿として、「甲案」と「乙案」の2案を作成しました。「甲案」が、重要事項を前文に含め、簡潔な構成にしたのに対し、「乙案」は多くの条章を列挙する意図で作成されました。
「甲案」、「乙案」ともに朱書きで修正のあとが見られます。
憲法
国会開設之勅諭 [請求番号等:附A00304115]
国立公文書館
憲法
伊藤博文(1841-1909)
伊藤博文(1841-1909)

貴族院議長 伊藤博文/読売新聞4841号附録[請求番号等:32-24]
画像提供:東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫
井上毅(1844-1895)
井上毅(1844-1895)

画像提供:國學院大學図書館
伊東巳代治
伊東巳代治(1857-1934)
金子堅太郎
金子堅太郎(1853-1942)
井上毅(1844-1895)
井上毅
國學院大(外観)
國學院大學図書館の外観
國學院大(秘庫の箱)
特に重要な文書を収めた「秘庫」の木箱

画像提供:國學院大學図書館

皇室法典初稿柳原前光内案(原題)[請求番号等:A-59]

国会開設ノ勅諭案[請求番号等:A-379]

内閣改正詔勅案[請求番号等:A-447]
井上毅(1844-1895)
井上毅(1844-1895)
甲案(原題)[請求番号等:A-116]


乙案(原題)[請求番号等:A-108]








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次のページでは、この「甲案」、「乙案」を含めた草稿をもとに
憲法が起草され、審議を経て発布されるまでの流れを追っていきます。

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