05 神田大火

 明治5年(1872)の銀座大火後も東京では、明治10年代にかけ様々な防火対策が計画されました。その対策は主として、火災予防措置、火災跡地の再建などでした。火災予防対策としては、明治14年に、日本橋、京橋、神田の主要街路及び運河沿い家屋への煉瓦、石、蔵造による路線防火を定め、その他の地域へは瓦葺かわらぶき屋上制限について定めた東京防火令を発布しました。これにより板葺、草葺などの木造家屋は、取り壊されるか、蔵造、煉瓦造、石造に造りかえられました。
 火災跡地の再建としては、明治14年1月に発生した神田松枝まつえだ町(現東京都千代田区岩本町)の火災跡地の再建計画があげられます。神田松枝町から発生した火災は東神田一帯を焼き尽くし、その範囲は、日本橋、本所、深川など約42万平方メートルに及びました。火災後に作成された都市計画では、水路の新設や民有地の買い上げなどによる道路拡張などにより市街火災防禦線ぼうぎょせんを設置し、路線防火制の確立が目指されました。これらと同年に発布された東京防火令とによって東京の防火対策は改善され、明治20年以降、いわゆる「大火」の発生は格段に減少しました。しかし、防火対策として採用された蔵造の家屋は、火事には強くても地震には弱く、大正12年の関東大震災では崩壊。その後大きく見直されることになりました。
 資料は、明治14 年2 月に計画された防火対策のための建物制限区域などを示した図。防火線路の設定(赤線部分)や新川開鑿などを行う建物制限地域を設けたほか、道路改修のための民有地の買い上げも検討されていました。

防火線路並新川開鑿道路更正等ノ図面(建物制限区域之図面)
請求番号:附A 00208100
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