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38. 御法川式多条繰糸機の発明(御法川直三郎)

明治37年、製糸業界に「革命的衝動」を与えた機械が発明されました。発明者は御法川直三郎(1856―1930)、発明品は「御法川式多条繰糸機」という繭から多数の生糸を同時に繰取る機械でした。

当時、製糸の生産量を上げるには、生糸を早く巻き取るか、一度に多数の生糸を繰り取るしかありませんでした。しかし、生糸を早く巻き取ると生糸は切れやすく品質も落ちることから、御法川は、低速ながら多数の生糸を繰り取ることで生産量を確保する機械を開発したのでした。御法川の発明品では、一人で一度に10条以上の生糸を繰り取ることができました。これは、明治初年に一人が受け持つ糸条数が2、3条だったことを考えると、まさに革命的な生産力と言えます。片倉製糸紡績株式会社(現・片倉工業株式会社)の副社長だった今井五介は御法川の発明に着目しました。今井は御法川を支援し、発明品を実用化して工場に導入したほか、御法川の発明を元に研究を進め、糸目を低下させない煮繭法など一連の多条繰糸技術を確立しました。この他にも今井は、性質の違う蚕を交配させて、より病気に強い品種を造る一代交配蚕種の飼育を普及させるなど、繭質改善に努めました。

こうした技術は、大正、昭和期には、米国で「ミノリカワ・ロウ・シルク」と絶賛された優等糸を産み出しました。当時、米国ではシルク・ストッキングが大流行し、より高品位の生糸が望まれており、片倉製糸は御法川式多条繰糸機等により、優等糸の最大の生産者となったのでした。

鈴木信一外三名褒章下賜ノ件
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