明治38(1905)年9月、同月5日に締結された日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)の内容に不満を抱いた民衆が暴動を起こしたため(日比谷焼き討ち事件)、政府は東京市内に初の戒厳令を布告します。この資料は、9月6日、戒厳令布告について桂首相が枢密院に行った説明の記録です 。
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